最近、「大学スポーツとは何だろう」と、ときどき考えます。関西学院大学には、他の多くの私立大学同様に多数のスポーツクラブがあって、最近目覚ましい活躍を見せてくれるクラブも増えました。その雄姿がマスコミで報道されると、選手たちはもちろん、在学生、そのご家族、大学の教職員、同窓生、世間のスポーツファン、それらの人たちが一体となった興奮に包まれます。この多数の人々を巻き込み、つながった一体感は、なかなか他の機会には味わえない大学の醍醐味の一つです。

 一方で、大学スポーツに関わる人たちの、「らしからぬ」不祥事もまた、残念なことに少なからず耳目に飛び込んできます。それは、大学の学生が、教職員が、何か過ちを犯した、してはならないことをやってしまった、という以上に大きなショックをわれわれに与えます。「え、あのスポーツ選手が、コーチがそんなことを」という驚きは、すぐに大きな落胆に変わります。

 なぜでしょうか。なぜ、大学スポーツは想像以上に大きな感動をわれわれに与え、また思いがけないほどの失望感をわれわれに与えるのでしょうか。このところを、わがバドミントン部に関わるわれわれもよく考えなければならないと常日頃思っています。

私自身はこう思います。ひとつには、大学スポーツは、何よりも広く開かれたものです。関西学院大学バドミントン部は、部に所属する選手、監督、コーチ、部長から成り立つ小さな身内の世界ではありません。ご家族、OBOG、関西学院大学、さらに社会全体と一体になって存在するものです。自分たちの活動、判断や行動が、常に広い世の中の光の中にあり、視線を浴びていることを覚えていたいと思います。

 もうひとつは、大学スポーツは教育だということです。大学スポーツが、一般のスポーツクラブと少しだけ違うのは、それが大学というレベルで、学び、教える場であるということです。大学は、学問とともに、社会の変化の中で、自分で課題を見つけ、自ら考え主体的に行動するとともに、自ら律しつつ他人とともに協調していく力をつける場所です。大学スポーツはまさにそれを実践しています。

大学の選手は、生活の中でもっぱらそのスポーツに集中することを許されているわけではありません。講義で学び、広く世界を知り、社会のルールや仕事のスキルを身に着けることが求められ、その上で、自らを鍛えチームで勝利することが求められます。自分自身で何でも始末をつけ、自分の頭で考える力がなければ、普通の大学生にこんなことができるはずはありません。スポーツのうまい下手以上に、それをやり遂げる、その能力の高さと真摯さ、そこからくる潔さと爽やかさこそが、大学スポーツ選手にわれわれが感じる魅力です。

 関西学院大学体育会バドミントン部は1950年の創部以来の長い歴史を持っています。先輩が作り上げたその輝かしい伝統を受け継いで、選手たちが大学スポーツ選手の魅力を存分に見せてくれることを強く期待します。選手を教え鍛えてくださる監督やコーチ、活動を支えてくださるご家族やOBOGとともに、ますます活躍するバドミントン部の皆さんを心から応援しています。

 

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               バドミントン部部長(経済学部教授) 藤井和夫